
自身がデザイン事務所として使っていた空間を改装し、アートギャラリーとカフェを融合させた新しい場所をつくり上げたのが、貴詠さんです。現在もデザイン事務所は2階に移して継続しており、1階のカフェとともに、創造的な活動を広げています。
オープンから4年半あまり。開店当初は遠方から訪れるお客さまが多かったものの、最近は地元の方々にも少しずつ認知され、訪れる人の輪が広がってきました。
I ma art + cafe のメニューの約8割はジビエ料理。鹿肉を中心に、バスクチーズケーキなどのスイーツと並んで、独自のラインナップを展開しています。鹿肉カレーをはじめ、ジビエ全体に“命を大切にいただく”という想いが息づいています。
この取り組みは偶然ではなく必然でした。友人のお父さんが猟師で、その考え方や課題を聞く中で、「いただいた命をきちんと食べてあげたい」という強い思いを持つようになりました。猟師の姿勢へのリスペクト、そして貴詠さん自身がアーティストとして“命”をテーマに作品をつくってきた背景が、I ma art + cafe の料理と空間に深く息づいています。
人と人をつなぎ、命の大切さを伝える場として少しずつ育ってきたI ma art + cafe。その空間と料理には、貴詠さんが大切にしてきた哲学と物語が表れています。
描くことから始まった、貴詠さんの挑戦の物語
幼い頃から絵を描くことが好きで、貴詠さんはその才能を早くから発揮してきました。小学生の頃からコンクールでは入賞し続けるなど、絵ではずっと評価を受けてきたといいます。中学校では授業用のイラストや先輩の似顔絵、漫画などを頼まれることが増え、体育祭では3年連続で横断幕を制作するなど、周囲の期待に応えてきました。
大学時代には、企業の年賀状デザインをはじめ、さまざまな案件が次々と舞い込むようになり、在学中からプロとしての経験を積んでいきました。そして21歳のとき、映像・アニメーションの分野で国際的なビデオの祭典「日本ビクター東京ビデオフェスティバル」にて最優秀賞(1位)を受賞。この若さでの受賞は、後の活動を大きく後押しする出来事となりました。
大学卒業後は、大学授業のアシスタントや映画の助監督など、多方面に活動を展開。教育や映像制作の現場での経験が、貴詠さんの表現の幅をさらに広げていきました。
28歳でデザイン事務所を立ち上げ、米原SOHOを拠点に活動を開始。東京と滋賀の両方で仕事をしてきましたが、コロナ禍をきっかけに家族や地元をより大切にしたいという思いが強まり、活動の軸足を地元へと移していきました。
現在はデザイン事務所を続けながら、アートと食を融合させた「I ma art + cafe」を運営。貴詠さんにとって「描くことから始まった挑戦」は、いまも新たな形で発展し続けています。

鹿との出会いがつなぐ、アートと食の空間
コロナ禍をきっかけに、貴詠さんはこれまでのデザインの仕事に加え、新たな挑戦としてカフェの構想を描きはじめました。元々この場所は自身のデザイン事務所として使っていましたが、以前から「アート作品を発表できるギャラリーをつくりたい」という思いがあり、そのギャラリーに軽食を楽しめるカフェを併設する計画を立てていたといいます。落ち着いた空間をつくり、訪れる人がゆったりとアートと食を味わえる場所にしたい——そんなイメージでした。
その構想を練っていた時期、道で偶然鹿に出会ったことがあるそうです。
実はそれ以前から、友人の父親が「鹿が駆除されるだけでなく、命をきちんと食べてもらえる場所が必要だ」と市や県に訴え続けていることを知っていた貴詠さん。
「自分にできることがあるのなら」と名乗り出て、鹿肉を活かした料理を自らの場で提供しようと決意しました。 「命をいただく」ということは、貴詠さん自身にとってアーティストとしての表現のひとつでもあります。猟師たちの姿勢にリスペクトを抱きながら、同級生の大橋さんと試作を重ね、鹿肉の旨みを最大限に引き出すスパイス配合や調理を改良し続けた結果、「I ma 特製鹿肉カレー」が誕生。優しい甘みと深いコクのある味わいが評判を呼び、カフェの象徴的なメニューとなりました。

感謝と責任を込めて──一皿の鹿肉料理に宿る想い
「やむを得ず仕留められた命だからこそ、最後まで大切にいただきたい」。
I ma art + cafe で提供される鹿肉料理には、貴詠さんのそんな想いが込められています。鹿に対して深い感謝と愛情を抱き、「愛しているからこそ、きちんと食べてあげたい」と語ります。
一方で、猟師の高齢化や捕獲頭数の減少など、現実的な課題もある。「いつまで鹿肉を仕入れられるかわからない」という状況は、命をいただく責任や限りある資源について考え続けるきっかけであり、同時に貴詠さんが命というテーマを本質的に深く見つめる考え方そのものが、活動の軸になっています。
ジビエ料理やスイーツなど多彩なメニューを通して、訪れる人に小さな驚きや喜びを届けたいと考えている。「無理をせず、楽しみながら続けていきたい」と話すその姿勢には、命と真摯に向き合う想いがにじみます。
「もっと社会に貢献し、命について伝えていきたい」というのが、これからの大きな目標のひとつです。カフェという場を通じて、そしてアートの表現を通じて、命の価値をより多くの人に届けていきたいと考えています。

好きなことに囲まれて──私らしく輝く生き方
「アートで世界に挑戦したい」という気持ちが、今も貴詠さんの活動の原動力になっています。デザインの仕事は主な収入源でありながら、もっとアート活動に時間を注ぎたいという思いも強いのです。
日々を「自分自身をアートにする」つもりで、直感を大切にしながら過ごしています。普段は体に良い食事を心がけていますが、心を整えるために瞑想を取り入れ、ストレスがたまったときにはあえてポテトチップスやジャンクフードで気分転換するなど、自分らしい方法でリズムをつくっています。
また、美術館巡りに加えて、映画や舞台、さまざまなアートに触れる時間も大切にしているといいます。母親と過ごす時間も含め、そうしたひとときが心を豊かにし、創作や仕事の原動力になっています。好きなことや大切な人に囲まれて暮らす日常そのものが、貴詠さんの「生き生き」の源になっています。
そしてこれからは、アートやカフェでの活動を通じて、より多くの人に「命の大切さ」や「持続可能な食文化」のメッセージを届けたいと考えています。地元に根ざしながらも世界を視野に入れた挑戦が、今後の貴詠さんの大きなテーマです。
